マイケル・ハドソン「超帝国主義」p.98

フーバーは12月20日、ヨーロッパに危機が迫っているのを見て、ルーズベルトに国際情勢に詳しい人物、たとえばオーウェン・ヤングやハウス大佐、あるいはおそらくモーリー以外のほとんど誰でもいいから、顧問に選ぶよう提案した。ルーズベルトは、「イギリスはおそらく特別な配慮を受ける資格があった。というのも、米国は債務整理において、他のどの債務者よりも英国に寛大ではなかったからである。」と認めた。しかしルーズベルトは、3月4日以降の債務交渉は、ルーズベルトが任命した政府高官が行うべきだと主張した。経済会議に関しては、借金の話題は、持ち出すべきでない些末なことだった。債権者は、債務者がなぜ支払えないのかについては決して聞きたがらない。ルーズベルトの最大の関心事はいずれにせよアメリカ経済であり、3月の大統領就任前にフーバーやスティムソンらと債務問題について会談する必要はないと判断した。

モルガンのパートナー、ラッセル・レフィングウェルに率いられたウォール街の国際主義者たちは、国務省の民主党議員だったノーラン・デイビスを影響力のある地位に押し上げようとした。モーリーは「ヨーロッパへの民間融資を復活させやすくするために、借金を片付けたかったのは確かだった。」東部の銀行関係者は、債権者であるアメリカ政府の利益を、自分たちの野心に反するものとみなすようになっていた。ルーズベルトは、1月20日にデイビスをモーリー、タグウェルと同行させ、国務省でスティムソンと会談し、夏にロンドンで予定されている経済会議の議題についてイギリスへの回答をまとめた後、デイビスの忠告を無視することを選択し、デイビスはスティムソンの立場に味方した。

その会議では、ヨーロッパとの見返り交渉の見通しが話し合われ、タグウェルは、アメリカの経済回復にはイギリスやフランスからの関税譲歩は必要ないというルーズベルトの主張を繰り返した。必要なのは国内経済の復興だった。アメリカ側は、ドイツの賠償金が支払えないことを認めると、連合国が自国の第一次世界大戦の債務を支払う資金を奪うことになると主張し、自国の債務返済を支払い能力の範囲内に収めるためにアメリカの譲歩を要求してくる可能性があることを認識していた。

その日のスティムソンの日記によれば、ニューヨークのオーエン・ヤングとの会談で、イギリスは次のように語っている。イギリスは「見返りにいかなる譲歩もせずに、債務問題を独自に解決する」ことを望んでいた。タグウェルとモーリーは、ロンドン会議でアメリカが債務問題に取り組むことを認める声明を出すことを拒否した。有権者や下院議員が関心を寄せる地元の利益に影響する関税と貿易問題だけに議題を絞りたかった彼らは、イギリスに対するスティムソンの返答で、債務問題での譲歩が通貨安定の基礎になるかもしれないという考えを否定するよう主張した。また、アメリカの主要な国際主義新聞は、ヨーロッパの世論に同調して戦時債務を支払わないことに同意したかもしれないが、議会はヨーロッパを野放しにしようとはしなかった。