(米国を中心とした)企業グローバル国家の伝道的理想
ルイジアナ州のデマゴーグ、ヒューイ・ロングは、1930年代、アメリカにファシズムが到来するかどうか尋ねられたとき、こう答えた。「反ファシズムと呼ぶことにしよう」。ベルトルト・ブレヒトが説明したように、「知識人は、少なくとも、民主主義をファシズムの絶対的な反対語として、ブルジョア独裁がより開かれた形で明らかになる、そのもう一つの自然な段階としてではなく、提示することによって、ブルジョア民主主義の独裁的性格にヴェールをかけている」のである。
新自由主義的な政策は、民主的な法律が、例えば、企業が引き起こした損害に対して責任を負うことによって、企業に共通利益を考慮することを義務づければ、自由を侵害するものとみなす。その理想は、第7章で前述したISDS法廷であり、国民国家が自らの民主的法律を制定する権限を否定するものである。新自由主義者が賞賛する「政府の干渉」とは、世界銀行が最近、リスクを社会化することによって利益を保証し、政府が外国投資を誘致するよう促しているものである。
本格的な親レンティエの新しい国際経済秩序を作るために必要だったのは、企業国家を理想化する布教活動であった。この論理を近代リベラルの言葉で表現したのが、1961年から66年のケネディ、ジョンソン両政権で経済・農務担当国務次官を務めた民主党のジョージ・ボールである。ボールは、「国民国家は非常に古風な考えで、現在の複雑な世界のニーズに応えるには不適切だ」と説明し、現代は、グローバル市場の新しい組織者として、政府に代わってより近代的な計画者、多国籍企業を必要としていると訴えたのである。経済合同委員会の公聴会では、主権という概念そのものを攻撃し、政府が「偏狭な(ローカルな、あるいは利己的な)考慮に基づいて」政策を決定していると訴えた。そして、資源を配分し、市場を形成する力を多国籍企業に委ねることの良さを説き、次のように提唱した。
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『文明の命運』p.13~p.179は非公開にしました。