マイケル・ハドソン「超帝国主義」p.17

1950年代には、自国の貿易や支払いのためにドル準備を必要としていた外国政府は、このようなドル準備の増加という負債の性質にほとんど気づかなかった。しかし、1960年代初頭には、米国が外国の中央銀行に対する債務が、財務省の金在庫の価値を上回る時期が近づいていることが明らかになった。1964年にその時点に到達し、通過した。この時点では、米国の支払赤字は、主にベトナム戦争のための海外軍事費に起因していたが、その他の世界各地での米国の軍事活動もその一因であった。

米国が海外に巨額の投資をするようになった軍事計画を覆すには、国民の意識改革が必要であった。アメリカはヨーロッパ型の帝国症候群に陥っているようで、イギリスや他の帝国がそうであったように、世界帝国を維持するためのコストに圧迫され、世界の支配的地位を失う危険性があった。第一次、第二次世界大戦がヨーロッパを破産させたように、ベトナム戦争は米国を破産させる恐れがあった。

もしアメリカが、第一次、第二次世界大戦後にヨーロッパ諸国が守ってきた債権者重視の「債務の神聖化」のルールに従っていたら、世界の地位を犠牲にしていたかもしれない。金貨はすべて流出し、アメリカ人は海外での軍事活動のために国際的な投資を売却せざるを得なくなっただろう。これは、第一次、第二次世界大戦でアメリカの高官が同盟国に要求していたことである。しかし、アメリカは自らそのようなルールを守ろうとはしなかった。同じような立場にあった以前の国とは異なり、国際収支の影響を気にすることなく、海外、そして国内での支出を続けた。

その結果、ベトナム戦争でのアメリカの軍事力の低下に伴い、金の暴騰が起こり、その勢いは加速した。外国の中央銀行、特にフランスとドイツの中央銀行は、ほとんど毎月のように余剰ドルをアメリカの金準備に換えていた。

金価格を抑えるために、公的な準備金が民間の需要に応えて売られたのである。アメリカは何年もの間、他の国々と共同でロンドン・ゴールド・プールに資金を供給していた。しかし、1968年3月、6ヶ月間続いたアメリカの金在庫は、財務省が今後の金売却を停止すると通告していた100億ドルの底まで落ち込んだ。ロンドン・ゴールド・プールは解散し、世界の中央銀行の間で、ドルの流入を金に換えることをやめるという非公式な合意(外交的なすり合わせ)が成立した。