ジェイコブ・ヴィナーやコーデル・ハルなど、戦後初期の理想主義的なプランナーたちが予想していたこととは、まさに逆の方向に進んでいたのである。振り返ってみると、彼らは、「自由貿易帝国主義」と呼ばれる表向きのコスモポリタンな自由主義から実際に利益を得るのは誰なのか、その視野狭窄を見抜けなかった「役に立つ愚か者」のように見える。同様に、今日のレッセフェールや新自由主義のマネタリストの正統性は、民営化、金融化、政府の規制緩和を提唱するアメリカの外交を合理化しようとする際、アメリカのレンティア金融・技術独占への世界の依存度を深める条件として、役に立つ愚か者の学術的役割を演じている。
戦後社会のあり方に関する1945年のレトリックを見直すと、開放的な世界貿易が経済発展を促進するという理想的な主張が米国から発せられたことがわかる。しかし、それは現実のものとなっていない。ワシントン・コンセンサスは、援助国の債務返済能力を高めるどころか、援助国の債権者への依存度を高め、原材料輸出や穀物依存を促進することで交易条件を悪化させ、土地改革や所得税・天然資源税などの社会近代化を妨げてきた。
第二次世界大戦後、米国の外交官が他国に対して米国の輸出や投資に対する門戸を開くよう主張している間にも、米国政府は自国の市場に対する規制を強めていた。1950年代初めには、GATTの原則に反して、乳製品や農産物割当を強化し、その後、米国の交渉担当者がEUの共通市場の制定を批判したのと同じ種類の農業補助金を提供した。アメリカの農業収入の半分近くは、今でも政府の補助金によるものである。
世界の貿易は、世界銀行、IMF、そしてワシントン・コンセンサスと呼ばれるようになったものによって調整された、前例のない政府計画の介入によって方向づけられてきた。その目的は、米国に十分な量の石油、銅、その他の原材料を供給し、世界価格を抑えるのに十分な慢性的な供給過剰を作り出すことである。ただし、米国が輸出する穀物などの農産物は例外で、この場合は比較的高い国際価格が望まれる。石油輸出国のように、このような条件下でも外国が支払い余剰を出すことができる場合、外国政府はその資金で米国の武器を購入するか、流動性のない、できれば市場性のない長期米国債に投資することになる。経済的な主導権はすべてワシントンのプランナーが握っている。
第二次世界大戦後、英国のスターリング圏を解き放った米国当局は、ファシスト諸国を除く戦前のどの経済圏よりも、政府によって厳しく管理されるドル圏を作り上げた。前述したように、1960年代半ばには、米国企業の海外進出資金は、米国の資金ではなく、外国の資金で行われるように指示され、配当金も米国政府の規制によって、外国の国家主権の原則に優先して管理されることになった。海外の関連会社は、本社の規制ではなく、関連会社が所在し、法的市民権を持つホスト国の政府の規制に従うよう指示された。