マイケル・ハドソン「超帝国主義」p.29

1920年代から1930年代にかけて、世界は流動性の不足に悩まされていた。ドルを稼ぐために、各国は商品やサービスを輸入するのではなく、輸出しようとした。1970年代初頭には、欧州への莫大なドル流入による世界の流動性余剰をどう処理するかが大きな問題となった。現在、欧州、石油輸出国、東アジアは、余剰ドルの処理に苦慮しており、米国の国際収支の赤字を世界の資本市場に還流させ、世界金融バブルを煽ることに貢献している。

当初、世界のドル余剰は、1950-51年の朝鮮戦争に始まるアメリカの海外軍事費による黒字から赤字への反転、1971年の金離れを経て、半世紀後の今日でも海外経済が抜け出せないアメリカの債務者志向の国際金融政策を誘発するものであった。

この新しい赤字戦略は、米国の商業保護主義や投資規制の強化を伴うもので、戦後初期の米国政策のレトリックとは正反対のものであり、今日の時代錯誤の経済レトリックの多くを彩っているものである。経済発展の形は、政府間の交渉と外交の機能になっている。1990年代のロシアの強引な民営化も、米国の外交的圧力の賜物であり、自然な進化というよりむしろ倒錯した発展であった。

従来の帝国主義理論で考えられていたように、米国の海外軍事費が民間の輸出と投資を保護し、拡大するのではなく、1960年代と1970年代には逆の優先順位が出現した。米国の対外貿易と対外投資は、米国の世界的な軍事外交と戦争の資金調達のためにますます規制されるようになったのである。東南アジアでの冷戦の資金を調達するために、米国の銀行や企業は海外融資や投資活動を規制され、GATTは廃止され、米国が表向きは第二次世界大戦で戦った(そしてその後のロシアや中国との冷戦でも戦った)自由貿易のシステムは脇に追いやられた。

米国の赤字は依然として世界を混乱させているが、軍事力の行使は、米国の農業黒字やその他の余剰生産物を外国経済が購入するよう主張することで補完されている。外国経済は現在、米国国内経済が生産しなくなった消費財や投資財を供給している。米国経済は産業化以降、金融化したバブル経済となり、産業経済が空洞化する中で、米国の株式、債券、不動産市場にキャピタルゲインと資産価格のインフレという形で仮想富を生産する。