マイケル・ハドソン「超帝国主義」p.15

政府から見た問題は、米国の国際収支が歴史上類を見ない黒字水準に達していたことである。外国の輸出市場を促進し、世界の通貨を安定させるためには、財政赤字が必要だったのである。外国人は支払手段なしにアメリカの輸出品を買うことはできないし、民間の債権者は信用力のない国にはこれ以上融資をしたがらない。

朝鮮戦争は、アメリカの国際収支を赤字に転じさせ、この一連の問題を解決するように思われた。共産主義との対決は、米国の海外での軍事・援助計画のきっかけとなり、議会は、直接的な贈与や融資よりも、反共主義や国防計画を通じて、各国にドルを提供することに積極的になった。朝鮮戦争後、NATOやSEATO諸国におけるアメリカの軍事支出は、比較的無血の国際通貨支援であるかのように思われた。軍事費と援助プログラムは、1930年代から1940年代後半にかけて米国が吸収した外国の金の一部を還流させるもので、各国において行われた。

しかし、10年も経たないうちに、当初は安定的と思われた経済のダイナミズムが不安定化するようになった。世界的な軍事計画に資金を供給できる唯一の国であったアメリカは、植民地主義を試みたヨーロッパのすべての国が破産したような泥沼に沈み始めたのである。

冷戦時代の戦略家たちは、民間投資は損切りが柔軟で、毎年満足のいく収益率を確保できることを前提に比較的自立したプロジェクトに取り組む傾向があるのに対し、政府支出プログラム、特に既得権益を生み出す国家安全保障プログラムの場合はそうではないことを認識できていなかった。また、海外での軍事費は、一度始めると勢いがつき、民間企業のように簡単に元に戻せるものではない。政府は、国家安全保障計画が経済的に不利になったから、縮小しなければならない、と簡単に言うことはできない。それは、そもそも経済的な見返りがあるからこそ、国家的な利益とはいえ、経済的な利益という狭い動機のために人命を犠牲にすることを意味するからである。