マイケル・ハドソン「超帝国主義」p.449

このイデオロギーと学術的な経済についての作り話は、他の国々を説得する力を急速に失いつつあり、アメリカの銀行や外国人投資家が自国の経済を開放し、経済の司令塔を引き継いで民営化することに屈したり、あるいは自国の金融・保険・不動産(FIRE)部門とそれに関連する独占企業の中から国内のレンティア階級を出現させたりしている。

迫り来る世界的な分裂は、経済の最も基本的な組織原理をめぐる争いになりつつある。歴史上、成功した経済はすべて混合経済であった。アメリカの冷戦戦士たちがアメリカと中国の経済的対立として描いているのは、実際には国家間の経済競争ではない。世界的な経済システムの対立なのだ。問題は、世界がどのような経済になるかである。民営化され、レーガン化され、サッチャー化され、金融化された新自由主義経済がウォール街の中央計画によって組織されるのか、それとも各国政府が政策の独立性を維持し、経済的・社会的運命を自らの手で切り開くのか。

選択肢は、アメリカのようにインフラを民営化し、信用創造、交通、教育、医療、通信、刑務所、年金財源を独占的に借り上げることを目指す金融化された世界秩序か、それとも基本的なインフラ投資を公共領域として維持し、そのサービスが最小限のコストで、あるいは理想的には自由に提供できるように補助金を出しながら、金融部門のレンティア所得に優遇税制を与える代わりに課税する混合経済かのどちらかである。

一極支配の時代は終わったのだ。来るべき多極化した世界は、「中国の世紀」とも、他のどの国の経済の世紀とも呼ばれないだろう。 第一次世界大戦とその長い余波で回り道となった歴史を取り戻す、単に「非アメリカの世紀」となるのかもしれない。
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『超帝国主義』の翻訳は、これで終わります。第17章の「エピローグ(2021年)」は、『超帝国主義』全体の要約になっていますので、これからこのブログを訪れてくれる人たちが読めるように残しておきたいと考えています。