マイケル・ハドソン「超帝国主義(第3版)」p.iii

第3版への序文(2021年)

今回の『超帝国主義』は、1971年8月にニクソン大統領がドルと金のリンクを切断したことを受けて、私が初めて発表した分析の最終版である。朝鮮戦争(1950-51年)以来、アメリカの海外軍事支出によって国際収支がどんどん赤字になり、1968年にロンドン・ゴールド・プールが解散して以来、金の窓の閉鎖が間近に迫っていた。

1972年、私は原稿をホルト・ラインハート・ウィンストンに提出した。9月に出版されるまでに、国際金融システムは、1971年8月にドルの金への交換が終了し、ドルが10%切り下げられた後の通貨大混乱と、アメリカが国内で輸入割当と関税課徴金を課し、欧州やアジア諸国にはアメリカの農産物輸出に自国市場を開放し、アメリカの産業に対する金融買収を続け、そして何よりもアメリカの冷戦支出の削減を強要しないよう要求していることによって、激変していた。

1971年初め、ワシントンの政策研究所が「ペンタゴン・ペーパーズ」を入手し、私を招いて何度も会議を開いた。私が驚いたのは、東南アジアでの戦争に伴う国際収支のコストについての議論がまったくないことだった。私は、国際収支を赤字にしたのは軍事費だけであるという統計を発表したことがある。毎月の見出しは、ドゴール将軍が余剰ドルを金に換えたというものだった。ドイツも同じようなことを、声高には言わないがやっていた。

国防総省は、コロンビア大学経営工学部のテレンス・マッカーシー(私の恩師)とシーモア・メルマン、そして私からなる「コロンビア・グループ」による、戦争による国際収支のコストに関する警告に対抗するため、専任のデスクを動員していた。

私は、1968年から69年にかけてアーサー・アンダーセンのもとで、政府事業の国際収支と民間の貿易・投資とを分離するための会計フォーマットを作成したことがある。その統計によると、米国の支払い赤字はすべて政府勘定で発生しており、特に軍事部門であり、対外援助ではない。米国の民間貿易と投資は、1950年代から1960年代にかけて均衡を保っていた。