フィル・バトラー『プーチンの親衛隊』「ペペ・エスコバルによる序文」

私はこれまで、愚か者/単純動物/亜動物標本などを喜んで被ったことはない。30年以上も海外特派員として世界中を飛び回っていると、本に出てくるような沼地はすべて経験したつもりになる。いやいや、プーチンのエージェントだと24時間体制であなたを非難するヒステリックな沼は見ていないはずだ。だから、ここではっきり言おう。

私は15歳になる前に『罪と罰』と『カラマーゾフの兄弟』を読み、プーチン工作員だった。大学でソ連を深く学ぶ前からプーチン工作員だった。ボーブールでパリ・モスクワ回顧展に感嘆する前からプーチンのエージェントだった。まだゴルバチョフ時代のソ連を訪れる前から、私はプーチンのエージェントですらあった。1992年の冬、ソ連がもうないことを生で確認するためだけにシベリア鉄道でモスクワに到着する前から、私はプーチンのエージェントだった。クレムリンで泥酔したエリツィンがババ・クリントンにかろうじて足止めされているのを取材する前から、私はプーチンのエージェントだった。コーカサス、中央アジア、モスクワを行き来していた1998年のルーブル危機のずっと前から、私はプーチンのエージェントだった。2000年にプーチンの選挙を取材し、毎晩メトロポールでパーティに明け暮れる前から、私はプーチンのエージェントだった。RTに招かれてカメラに映ったり、論説を書いたりする前はプーチンのエージェントだった。スプートニクとコラムニストとしての契約を結ぶ前もプーチンのエージェントだった。オリバー・ストーンがプーチンのドキュメンタリーを編集していると夕食会で私に話す何十年も前から、私はプーチンのエージェントだった。ロシアそのものが永久凍土から形成される前から、私はプーチンのエージェントだった。そして、塵に帰ってもプーチンのエージェントであり続ける。

さあ、出ていけ。

ペペ・エスコバル
アジアタイムズ