マイケル・ハドソン「超帝国主義」p.vii

国防総省はすぐに研究所と8万5000ドルの契約を結び、財務省証券がいかに債権国にアメリカ経済と海外駐留の資金を負担させているかを説明するよう命じた。私は、ニューヨークのオシニングにあるFBIの事務所に車を走らせられ、トップシークレットのセキュリティ・クリアランスを申請し、すぐにワシントンで将軍や外交官とのブリーフィングに臨んだ。

1920年代から、世界の権力の裏付けとなっていた金を失わないように努めてきたアメリカは、1971年以降の初期の政策として、アメリカの貿易や海外投資を特別に優遇することによって、他国に対して国際収支を補助することを要求するだけだった。海外における米国の軍事費から外国の中央銀行を経由して米国財務省に戻るという新しい循環の流れを作り出すことによって、米国経済が赤字を豊かさの源に変えることができるという考えはほとんどなかった。

1972年以降の貨幣帝国主義に関する私の分析

『超帝国主義』は、すぐにスペイン語(1973年ドペサ社)、ロシア語、日本語に翻訳された。しかし、アメリカの対日外交圧力により、1975年に出版社はアメリカ政府の機嫌を損ねないようにと、すでに翻訳権の代金を支払った後に、この本を撤回したと聞いている(2002年に徳間書店からようやく正式に出版された)。
『超帝国主義』は、アメリカでは学術誌よりもビジネス誌で広く評価された。いずれにせよ、国際経済理論を教えるための私の歴史的アプローチは、政治的すぎてアカデミックな経済学のカリキュラムには馴染まないことが分かっていた。しかし、この本が出版された1972年9月、ニューオーリンズで開催されたアメリカ政治学会の年次総会で、私は「政府間帝国主義 対 民間帝国主義」という論文を発表し、財務省証券基準がいかに従来の国際金融のルールを覆したかを概説した。この論文は、本書の新しい序文の基礎となるものである。