「アメリカとの協定によって経済停滞が引き起こされた日本の運命」を中国に繰り返させようとする米国

貿易戦争で、アメリカは敵にも味方にも同じ経済兵器を使う

Timur Fomenko
RT
2023年8月25日

中国経済の減速が続くなか、最近、中国の運命予測のひとつとして「日本化」が叫ばれている。

この言葉は、1990年代以降、相対的な経済停滞を経験し、現在のGDPが1995年を下回り続けている日本の最近の歴史を指している。このエピソードはしばしば日本の「失われた10年」と呼ばれる。2000年代の最初の10年間は回復したものの、福島原発事故の混乱の中で日本経済は再び低迷し、それ以来一度も本当の意味で回復したことはない。この不振の原因として、高水準の公的債務、資産価格バブル、低インフレなどが指摘されている。

中国の現在の困難さを考えれば、その状況が日本と比較されるのは必然である。というのも、日本の衰退の始まりは、単に経済政策の不備によるものだけでなく、地政学的な側面もあったからだ。1985年のプラザ合意は、アメリカの貿易赤字を削減するために、円を含む他の通貨に対して人為的にドル安を誘導するものだった。それ以来、日本は「未来の経済」から停滞の経済へと転落した。そして今、アメリカは、より敵対的ではあるが、同じような方法で中国の台頭を抑制したいと考えている。

何よりもまず、敵であれ味方であれ、アメリカは自国より大きな国に絶対的な憤りを感じている。どんな新興国も、世界で最も戦略的な高級品や技術をめぐるアメリカの支配を脅かす可能性があると見ているからだ。1980年代、日本は近年の中国のような好景気に沸いていた。世界第2位の経済大国となり、アメリカを追い越す勢いだった。1995年のピーク時、日本のGDPは5.4兆ドルであった。

その前の10年間、アメリカは日本の台頭をひどく非難し、「経済的真珠湾攻撃」を予言し、驚くべきことに、現在中国に対して行っているのと同じ攻撃の多くを繰り返しながら、東京を脅かし始めた。日本に向けられた非難には、「不公正貿易慣行」や「知的財産の窃盗」といった聞き慣れたものが含まれていた。その結果、アメリカは日本企業に対する措置を取り始め、自国の製品をアメリカ市場から追い出すために保護主義的な政策を取り、同時に日本市場へのアクセス拡大を要求するようになった。

そして1985年、東京と他の多くの国々がアメリカの要求に屈し、プラザ合意が成立した。その後10年間、この影響は累積し、日本製品は割高になり、輸入業者は日本製品を敬遠するようになった。中央銀行は円の価値を抑えようとしたが、それが株価バブルにつながり、バブルは崩壊して日本は不況に陥り、「失われた10年」が始まった。

アメリカは効果的に日本の台頭を潰したが、それは経済的屈辱に同意させることによってのみであった。ワシントンは今日、北京に対して同じような「経済征服」を成し遂げようとしているが、軍事的な動きも加わっている。国内外において組織的に中国企業の成功を損ないながら、自国企業のために中国市場を切り開こうとしているのだ。また、中国が自国の経済成長を抑制するような反応を示し、もはや米国に対抗できなくなる「失われた10年」が始まることも期待している。

重要なのは、アメリカは競合する経済が繁栄することを望んでいないということだ。戦後の日本国家は成功を収めたが、アメリカの支配を振り切るほど成長することは許されなかった。同様にアメリカは、特にウクライナ紛争を利用することで、ドイツの自立と繁栄を阻害する策を講じてきた。もちろん、中国は競争相手であると同時に敵対視されており、中国の台頭に対する好意はない。日本化した中国はアメリカの利益になるものであり、競争力の低い製品を持ち、そのためより多くのアメリカの製品を受け入れざるを得ないものである。

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