マイケル・ハドソン「超帝国主義」p.137

イギリス連邦加盟国間で比較的低関税を維持する帝国優先制度は、1932年のオタワ会議で、連合国間の債務不履行に直面する大英帝国内の決済をある程度安定させるために考案されたものであった。この英国の主導は、自由貿易を推進する国務省の要請により、今や解体されようとしていた。しかし、このことは、英国が終戦後に英国ポンドをドルに自由に兌換できるようにするという財務省の要求に英国が同意することを一層困難にした。こうしたアメリカの二面的な条件にイギリスが最終的に同意したのは、イギリスが1942年2月にシンガポールを日本に奪われ、極東戦争のどん底に陥ったときだった。

アメリカ議会はこの法律をレンドリースとして可決したが、イギリス議会はこれを相互援助協定として批准した。両国の一般的な用法は、このまったく異なる2つの用語に従った。アメリカ議会にとってこの法律は投資であり、その報酬は戦争が終わった後、後の交渉次第で有形無形の形で得られるものであった。ほとんどの指導者が英語圏民族の調和という概念に夢中になっていたような英国の指導者たちにとって、米国の国益は、国境を越えた広範な英語圏の自己利益の一部でしかなかった。

レンド・リース会計の最終的な決着は、戦争末期になっても明言されることはなかった。終戦間近の1945年初頭、外交問題評議会は『多国籍経済におけるアメリカ』という研究書を発表した。その中で、レンドリースの経済的側面に関する章を執筆しているアーサー・ゲイヤーは、「大統領がどのような条件を考えているのか、またその条件での和解が世論や議会に受け入れられるのかどうか、まだわからない」と読者に注意を促した。彼は警告した、

米国内の政治的圧力のために、本国に持ち帰ることのできない固定設備の代償として、政治的その他の線での譲歩を外国に求めることが必要になるかもしれない。より望ましい取り決めは、レンドリース決済を、基本協定第7条に沿って、すべての国にとって有益な経済政策を追求するという債務国側の合意と結びつけることである。しかし、第7条がそのような交渉のための保証や力を与えるかどうかには疑問がある。また、この提案が実際に実施できるかどうかも疑問である。例えば、債務国が何らかの国際協定に合意した場合にのみ、レンドリース義務を取り消すと言う用意があるのだろうか。あるいは関税を引き下げるのか?第7条が要求していると思われるように、自国の関税もそれに応じて引き下げる用意があるだろうか。もしそうしなければ、債務国は一方的な貿易譲歩をする道義的義務を感じるだろうか。いずれにせよ、米国が援助した国々が、圧力をかけて一方的な譲歩を引き出したと主張するような事態を避けるためには、注意が必要である。