マイケル・ハドソン「超帝国主義」p.405

ヨーロッパの選択は、分裂して征服されるか、経済・通貨統合に向けて全速力で突き進むかの二者択一であった。ほとんどのヨーロッパ人は後者を望んだが、アメリカからのドル流出が加速し、ドイツをはじめとする支払い余剰国は自国を守ることができなくなった。3月5日、世界の外国為替市場は再び閉鎖され、2週間にわたって閉鎖が続いた。

この危機の最中、アメリカの交渉担当者はいかなる点でもヨーロッパに譲歩することを拒否した。シュルツ財務長官は、「国内の信用対策は、対外的な懸念ではなく、国内経済発展の文脈でとられるものだ」という理由で、アメリカが金利を引き上げて自国にドルを呼び込もうという提案さえ拒否した。この内向き志向は、頓挫した1933年のロンドン会議を思い起こさせた。

金価格が1オンス=100ドルに迫るなか、フランスのジャック・リューフは、金の公定価格を少なくとも2倍の1オンス=約80ドルに引き上げるよう求めた。そうすれば、アメリカの金の価値は100億ドルから200億ドルに増加する。おそらく、ヨーロッパは金の評価益を低利でアメリカに貸し出すことができるだろう、と彼は提案した。しかし、アメリカ政府高官は、金の公定価格の引き下げ、つまり金の非貨幣化につながる、正反対の政策を促した。その目的は、1920年代、1930年代、1940年代、1950年代にアメリカ自身がヨーロッパに対して金準備を使ったように、ヨーロッパやアジアがアメリカに対して金準備を使うのを防ぐことだった。

アメリカの経済戦略家たちは、財務省が保有する金塊を突然世界市場に投棄し、おそらくイギリスやその他数カ国の中央銀行と一緒になって金塊を保有することになるだろうという見通しを議論した。もしアメリカが金を失うのであれば、同盟国も失わなければならない。そうなれば、他国を犠牲にして国家が財政赤字を出すという客観的な制約の最後の希望がなくなってしまう。