マイケル・ハドソン「超帝国主義」p.4

経済的には、米国の姿勢は、欧州の政府に対して、軍事費や生活水準を引き下げ、資金の流出と物価の下落を認めるよう促すことであった。そうすれば、アメリカの保護主義が高まり、第一次世界大戦の遺産である同盟国間債務の全額支払いに固執しても、支払の均衡が再び確立されるだろうと期待された。

しかし、欧州の有力者の多くは、このような債権者寄りの姿勢を否定していた。1920年代の国際金融の破綻に対処するために、ベルティル・オーリンやジャック・リューフといった反ドイツの経済学者が、ドイツは十分な緊縮財政を行うことで、それに見合う為替黒字を生み出し、「自由に」請求された賠償金を返済できると主張した。それは自虐的な考えであった。アメリカ政府は、同盟国の戦争債務の全額返済を主張すると同時に、国内では保護主義的な関税をますます強化し、同盟国やドイツに、これらの債務を返済するために必要なドルを入手する手段を残さないようにした。

民間投資家は、債務不履行に陥った場合、損失を被る義務があったが、アメリカ政府は連合国に対する債権者としての立場を放棄するつもりはないことが明らかになった。そのため、アメリカへの支払い資金を確保するために、ドイツへの締め付けを続けなければならなかった。

1920年代を今日の視点から見直すと、各国がいかに啓蒙的な利己主義ではなく、単に疑いもなく時代遅れの経済的態度で行動していたかがわかる。戦前から引き継がれた正統派の債権者寄りのイデオロギーは、世界経済が第一次世界大戦後、支払い能力をはるかに超える負債を抱え込んでしまったこと、少なくとも、債務国が債権国の民間金融機関から資金を借りて債権国政府に支払う以外に支払い能力がないことを認識していなかった。アメリカの銀行家や投資家はドイツの自治体にお金を貸し、そのドルをドイツの中央銀行であるライヒスバンクに渡して連合国に賠償金を支払い、連合国はそのドルを使ってアメリカ財務省に戦争債務を支払った。このように、世界金融システムは、政府間債務が民間や自治体の債務に比例して減少することによって維持されたのである。