マイケル・ハドソン「文明の命運」p.212

ヒューストン報告書は、最適な市場経済とは「迅速かつ包括的な価格自由化を伴うものでなければならない」と主張している。その後のハイパーインフレは、ロシアの貯蓄、年金、関連する社会支援システムを一掃し、これらは 「オーバーハング問題 」として特徴づけられた。資本がルーブルの為替レートを操縦して輸入品を高くし、IMFの通貨供給制限の要求によって雇用と生産が縮小された。累進課税は否定され、所得に一律に課税し、固定資産税はほぼゼロになった。「改革」という言葉は、ほとんどのロシア人にとって否定的な意味合いを持つようになった。

新自由主義者たちは、こうして旧ソ連圏において、彼らがアメリカやヨーロッパで実現しきれなかったこと、つまり企業レンティア国家を実現したのである。その結果もたらされた緊縮財政は、IMF、シカゴ・ボーイズ、そして米国がスポンサーとなったコンドル作戦が1970年代にラテンアメリカに課したものよりもさらに過激なものであった。物価が上昇すれば生産高が増え、国民の購買力が低下すれば(ソ連時代の貯蓄が一掃されれば)輸出できる生産高が増える、というのが偽りの約束であった。しかし、実際に起こったことは、ロシアの産業が閉鎖され、輸出できる産業がなくなってしまったのである。

政府は、これらの企業を自ら運営することによって、少なくとも同程度の収入と、はるかに多くの外貨を得ることができたはずである。しかし、ロシアは「失われた10年」を経験し、資本逃避と脱税で5兆ドルもの損失を被った。このような産業の解体と機会の喪失を前にすると、官僚主義的な国家の諸経費は青天井のように思えてくる。改革が始まって30年後の2020年、ロシア人は自分たちがいかに重大な過ちを犯したかを認識していた。
ゴルバチョフ大統領が1985年に打ち出したペレストロイカは、西側諸国から手放しで歓迎され、ワシントンでは賞賛された。しかし、2020年の今、ロシアの半数近くが「ペレストロイカはなかったほうが良かった」と考えている。レバダ・センターの世論調査によると、47%のロシア人がペレストロイカ以前の方が暮らしやすかったと考えており、そう思わない人はわずか39%である。また、1985年の改革開始時に成人していた55歳以上の人たちを対象にすると、ほぼ3分の2(61%)が「以前の方が良かった」と答えている。