ポール・クレイグ・ロバーツ「軍事/安全保障複合体は平和にとって強すぎる」


Paul Craig Roberts
7 December 2023

ヘンリー・キッシンジャーの死は、元国家安全保障顧問であり国務長官であったキッシンジャーに対する憎悪を、特に『カウンターパンチ』から爆発させる結果となった。 私の読者の中にも、キッシンジャーについての私の説明を、多くの人が彼を非難している戦争犯罪を正当化するものだと誤解している人が何人かいた。

私はここ数十年、アメリカ人が情報に対して理性的ではなく感情的に反応する傾向が強まっていることに気づいていた。私がキッシンジャーについて説明したことで、彼を糾弾するのではなく、彼を謝罪している、あるいは正当化していると見なされたのだ。

ベトナム戦争に伴う爆撃で多数の民間人が殺され、負傷したことは間違いない。 しかしもちろん、国務長官は爆撃を命令する役人ではない。 さらに、キッシンジャーが民間人爆撃に関与したのは、単に人を殺したり戦争犯罪を犯したりするのが好きだったからとか、イスラエルのシオニスト政府のように民族浄化を信じていたからだという兆候はない。

民主党と左翼は、ベトナム戦争の責任を民主党のリンドン・ジョンソンから共和党のニクソンに転嫁するのが非常に巧みだ。 ニクソンとキッシンジャーは戦争を終わらせたかったが、ドミノ理論を信じ、ソ連の使命は世界征服だと信じていた保守的な支持層からニクソンの信用を失墜させない方法で終わらせなければならなかった。 ニクソンがSALT Iのような軍備管理協定で冷戦の緊張を和らげるのを難しくしたのも、同じような基盤があったからだ。

北ベトナムは、ニクソンが快適な条件で戦争から撤退できるようになることをそれほど急いでいなかった。 残された唯一の選択肢は、受け入れ可能な撤退を強いるために暴力を拡大することだった。 それがカンボジアを生み出したのであって、キッシンジャーやニクソンが血に飢えていたわけではない。 キッシンジャーはユダヤ人であったため、今日、彼を糾弾する際に、イスラエルのガザに対する大量虐殺的攻撃と比較する人がいる。 これは、キッシンジャーと彼の時代の出来事の両方を見誤っている。

ニクソンは、冷戦の緊張と中国との敵対関係の両方を和らげようと努めたため、支配体制から不信感を抱かれていた。 これは、多くの既得権益や共産主義者の動機に関する信念に反するものだった。 これまで説明したように、CIAはウォーターゲート事件とワシントン・ポスト紙を利用してニクソンを暗殺した。

リベラル左派は、アルジャー・ヒスの有罪判決につながった下院非米活動委員会の委員としての仕事と、彼の支持層へのおべっかに過ぎない暴言のために、ニクソンを憎んでいた。 リベラル左派は、ニクソンの信用失墜を楽しむのに忙しく、彼がサルバドール・アジェンデのようにCIAの犠牲者であることに気づかなかった。

私はこれまでの人生で、偽りの説明がなされ、間違った説明として歴史書に記録される多くのことを間近で見てきた。 真実は、多くの権力者の利益にはならないので、あまり力を持たない。

カンボジア空爆は、ベトナム戦争を終わらせたかった政府の必死の行動だったという事実は変わらない。

なぜニクソンは戦争から手を引かなかったのか? その答えは、ニクソンは保守派を失い、もちろんリベラル左派からも非難を浴びただろうからだ。 ニクソンとキッシンジャーは、西側諸国と共産主義諸国との緊張を和らげることで、より安定した世界を作りたかったのだ。 これが、他の国で左派政権が倒された理由でもある。 ラテンアメリカ、アフリカ、アジアでソ連寄りの政権が誕生し続ければ、安定は不可能だという理由だった。

ニクソン/キッシンジャーの決断は誰にでもできるものではない。 しかし、キューバ危機は、安定に代わる選択肢のひとつが核戦争につながりかねない紛争であることを明らかにしていた。

レーガンも同じ難問に直面したが、ゴルバチョフと和解することができた。 その後の政権がレーガンの偉業を投げ捨てたのは罪である。 軍事・安全保障複合体は平和には強すぎることが証明されたのだ。

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