「文明の命運」p.20

この認識は、第一次世界大戦までの事実と相まって、産業資本主義を社会主義への道に導いた。産業資本主義の最も基本的な政治ステップは、経済を特別な特権とレント追及の費用の掛かるオーバーヘッドから解放することであった。ヨーロッパの社会化された医療を、アメリカの民営化、金融化された健康保険制度と、それに関連する製薬会社の独占と比較することで、この論理が今日機能していることが分かる。アメリカのGDPの約18%に相当するアメリカの(現代の西側諸国で最も高額だが、効率はもっとも低い)医療と医薬品のコストは、アメリカの産業労働者によって作られた製品の価格を世界市場から引き離す一因となっている。アメリカの従業員の損益分岐点賃金を押し上げるその他のコストには、(銀行の信用によって膨らむ)高い住宅費、私立教育費、民営化されたインフラ・サービスに請求される独占価格が含まれる。

公共インフラの民営化は、アメリカやその他の民営化され、サッチャー化され、金融化された経済において、金融化された不労所得経済を高コストにし、ますます脱工業化させてきた。貧欲は禅であり、それが稼いだ金額に比例して生産的であると言われているため、あたかも結果として生じる経済の二極化と富の集中が漸進的であるかのように、規制を緩和する必要がある。健康保険会社と製薬会社が株式市場のリーダーであり、不動産はアメリカの銀行信用の最大の市場であるという点で、金融資本主義の観点から進歩と見なされる。

このように、経済イデオロギーは過去100年間で方向転換した。現在、不労所得者の特権を擁護し、計画をウォール街、ロンドンのシティ、パリ証券取引所、フランクフルト金融センターに移すことを提唱している。国庫は、民主的に選出された政府の手から奪われ、政府支出の支配権を獲得した商業銀行と債券保有者にサービスを提供する中央銀行に取って代わられた。現在の銀行の本社は、中世の教会、寺院、モスクの現代的な類似物として、世界の主要な首都にそびえ立ち、スカイラインを占めている。

その結果、初期のキリスト教徒による高利貸しの禁止から文化が大きく変化した。まず、(ごく最近まで残されていた高利貸し禁止法で生き残った)高利貸しに対する宗教改革、そして経済を合理化し生産を高めるための論理とともに、世襲地主と不労所得層に対する伝統的な産業促進改革がすべて拒否された。経済レントの概念を発展させて、封建後の搾取を社会の負担となるオーバーヘッドとして説明した古典的な経済学者とは対照的に、今日の経済の種類位は、もはや、そのような搾取を取り除こうとはしていない。その正反対で、過去100年間のその際立った特徴は、不労所得や搾取の発生を否定することであった。