マイケル・ハドソン「文明の命運」p.209

1990年代のロシアの10年間は、民営化による資産収奪を推進するワシントン・コンセンサスによってもたらされた経済的・社会的損害を示す客観的な病巣として存在している。新自由主義者が支援する独裁者層は、ロシアの天然資源と土地を自分たちの名義で登録し、無税にした。非常に狭量な階級であった。

この狂気には方法があった。冷戦の計画者は、国家の富を支配する寡頭制の範囲が狭ければ狭いほど、その構成員が国際的に振る舞い、資本逃避が大きくなる傾向があることを認識していた。民営化でタダ飯が食えるようになった特権階級ほど、海外に株を売って現金化しようとする。その資金で海外の不動産や金融資産を購入することは、ロシアのクレプトクラートにとって、国内の徴税当局(と検察当局)から逃れる最も簡単な方法であった。

30年後の今日、ロシアや他のポストソビエト諸国の運命は、土地、鉱物資源、公営企業の民営化の方法によって形作られたままである。ノルマン人のイギリス侵略やスペインのペルー、メキシコ征服とは異なり、かつての公共資産の所有権を奪うために軍事侵攻をする必要はなかった。ノルマン・コンクエストやスペインの新大陸征服における土地収奪のように、ポスト・ソ連の主要資産の収奪は、自分たちのために、そしてますます米国やその他の外国の株主や後援者のために土地や天然資源のレントを引き出す権限を与えられた新しい貴族を作り出したのである。

ロシア人はこれを「グラビティ化」と呼んだが、西側の新自由主義者はこれを成功例として称えた。1994年から1997年にかけて、ロシアは世界で最も儲かる株式市場になった。インサイダーは自分たちの名前で会社を登録し、七人の銀行家は主要な天然資源を小銭で手に入れた(支払いは主にロシアの中央銀行からの預金で賄われた)。しかし、米国が主導したショック療法によるハイパーインフレで国内の貯蓄が一掃されたため、彼らは株式を欧米の買い手に売却して高値で「現金化」することしかできなかったのである。というのも、アメリカのショック療法によるハイパーインフレで国内の貯蓄は底をついていたからだ。

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@バンコク・スワンナプーム空港
これからスリランカ・コロンボに飛び、陸路キャンディへ向かいます。