マイケル・ハドソン「文明の命運」p.253

第13章 オリガルヒを抑制するのに十分な強さを持つ政府との戦い

中国の市場介入による産業成長と生活水準の向上は、独裁的な農奴制への道なのか、それとも欧米の脱工業化、経済の二極化、債務奴隷への道を急速に凌駕しつつある古典的な繁栄政策なのか。新自由主義者は、公共事業、保護関税、レントシーキングをチェックし経済的不平等を減らすための補助金などが、「自由市場」より効率が悪いと非難している。問われるべきは、「何に対して効率的なのか」ということだ。

レンティアは、経済的レントを最大化することに効率を求め、経済的成功を自分たちと1パーセントの富で計る。金融・不動産投資家は、中国の経済的余剰を利子、レント、配当として吸い上げたいと考えている。そのため、ジョージ・ソロスは、習近平国家主席が掲げる「富裕層の富を一般国民に分配することで不平等を解消する」という共栄の目標から守るため、米国企業に対して中国への投資をボイコットするよう促している。彼の考えでは、賃金や生活水準の上昇を防ぐことで、レンティア所得を最大化することができるのだ。

また、中国の生活費と工業製品輸出の市場価格を最小化するために、公共サービスに補助金を出す政策も容認できないとしている。アメリカの外交官は、「公正な貿易」と「公平な競争条件」を主張し、このように基本的なニーズを低コストでサポートすることは、不公正な貿易競争形態であると訴える。しかし、これはアメリカやヨーロッパが自国の産業勃興のためにとった方針である。中国は、19世紀末から20世紀初頭にかけて米国が行ったことを、そして実際にその時代の社会民主主義が西欧で達成すると期待されたことを、そのまま行っているのである。中国の市場への「干渉」は、レンティアの「フリーランチ」収入を最小化するという古典的な目的に従っている。資本投資、生産性、生活水準の目覚ましい成長は、主に公共投資と経済(「市場」)の規制によるもので、とりわけ、貨幣、銀行信用創造、その他の重要なインフラを、利益やレントを得るために民営化するのではなく、公共事業として維持することによって達成された。

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ついに「文明の命運」最後の第13章に入りました。
去年8月に翻訳を始めたときは、翌年の5月までかかる見込みで、ずいぶん先の話だと思っていましたが、いよいよ残り25ページです。