マイケル・ハドソン『貿易・開発・対外債務』p. 16

コスモポリタンなキリスト教世界が国家経済へ道を譲る

ルネサンスは、13世紀にマルコ・ポーロが旅した東方の富への主要ルートがヴェネチアの東方への道であった限り、イタリアを中心としたものであった。イタリアの銀行家はテンプル騎士団に取って代わり、彼らの融資は戦争や権力、王冠やローマ教皇権への鍵となった。

しかし、教会の体制は、1492年以降に銀と金が大量に流入した後の力学に耐えることも調整することもできなかった。ヨーロッパの爆発的な金融、経済、技術のダイナミクスは、国民国家の発展と、ローマに富を移転するよりも自国に富を保持したいという願望に拍車をかけた。中世キリスト教を特徴づけていた半自治的な地方連合に代わって、中央集権的な国家経済がますます発展した。

一方、16世紀から18世紀にかけては、農村から農奴が追放され、ヨーロッパの都市は農奴で溢れかえった。商業の発展、農業・都市革命、それに伴う通貨革命は、戦争、自然債務、民間銀行・信用、インフレ、増税と関連していた。これが経済面における宗教改革の本質であった。それぞれの王国において、発展の原動力はますます商業的、金融的、物質主義的、反教皇主義的、軍事的なものになっていった。

王国や地方が統一国家に統合されることは、商業的統合の過程となり、やがてすべての経済生活が国家の管轄区域内に統合された。王室経済の財政的・商業的統合が確実なものとなったことで、ヘンリー8世はローマ・カトリック教会の財産を収奪し、イギリス国教会を設立した。やがてドイツ語圏では、マルティン・ルターとジョン・カルヴァンに率いられたプロテスタント革命が起こった。ヨーロッパの商業的な優位性は、スペイン、ポルトガルを経てフランス、オランダ、イングランドに至る大西洋沿岸の北西部に移った。経済的、政治的、宗教的な独立の道を突き進んだこれらの国々は、近代的な国家文化の世界を誕生させた。