マイケル・ハドソン「文明の命運」p.270

このような再分配と財政の原則は、近代社会主義の基礎であるが、西洋経済の基礎ではない。古典ギリシャとローマが近東のクリーンスレート(徳政令)という慣習を止めて以来、西洋経済は債権者と債務者、地主と借家人、パトロンとクライアントの間の二極化から自らを救うことができなくなっている。今日、社会民主主義に対する新自由主義の反動は、このような二極化を確実なものにしている。第一に、債務を支払い能力よりも速く成長させ、それゆえ富を債権者の手に集中させることであり、第二に、基本公共事業を民営化し、人権としてではなく、金融管理者によって運営することを提唱することだ。

これまで公共的であった機能の金融化と民営化は一体となり、レントシーキングと資産価格差益が今日の金融資本主義の本質である。米国は教育、銀行など民営化された独占企業で基本的なニーズをコントロールするものを「市場」に委ねている。住宅は最大の金融化部門であり、製薬会社が独占的なレントを請求し、独占的な賃料請求を減らすために薬の価格をめぐって政府が交渉するのを妨害することさえ可能にする民間医療がそれに続いている。健康管理機構は、一方で利益のために(より正確には独占的なレントのために)医療を独占している。