マイケル・ハドソン「超帝国主義」p.20

1968年4月から1973年5月までの累積500億ドルの米国支払赤字のおかげで、外国の中央銀行は、この期間に増加した500億ドルの米国連邦債をすべて購入する義務があることに気づいた。つまり、アメリカは国内の財政赤字を国際的な決済赤字で賄ったのである。セントルイス連邦準備銀行がこの状況を説明したように、外国の中央銀行は「為替レートを比較的固定した平価に維持しようとするため、ますます大量のドルを取得しなければならなくなった」のである。ドルの供給が需要を大きく上回ったため、これらのドルを吸収できなかった場合、ドルの価値は外貨に対して下落することになる。ドル安は米国の輸出企業に競争力のある切り下げをもたらすとともに、外国人が保有するドルの国内通貨価値を低下させることになる。

外国政府は自国の輸出企業が競争上不利になることを望まなかったので、ドルの為替レート、ひいてはドル圏の経済圏の輸出価格を支えるために、ドルを買い続けた。セントルイス連邦準備銀行は、「これらの外国機関による米国短期証券の需要が大幅に増加した結果、他の市場性のある証券に比べ、米国短期証券の市場利回りが以前より低下した。このような事態は、この時期、米国政府の財政赤字が大きかったにもかかわらず発生した。」と説明している。中央銀行のドル建て国債に対する異常な需要のおかげで、米国国債の利回りは、中央銀行が購入しなかった社債の利回りに比べて低下した。

このように、古典的な国際収支の調整メカニズムが逆転してしまったのである。アメリカの場合、外国の中央銀行が余剰のドル資金を国債に振り向けたため、国際収支の赤字が「外国」資本を供給することになった。米国の金利が低下したのは、まさに国際収支の赤字のためであり、赤字にもかかわらず、ではない。国際収支の赤字が大きくなればなるほど、外国政府が米国債に投資せざるを得なくなり、国際収支の赤字と国内の連邦財政赤字を同時にファイナンスすることになった。