マイケル・ハドソン「超帝国主義」p.21

アメリカの銀行や他の投資家が国債から高利回りの社債や住宅ローンに移行し、低利回りの国債を外国の中央銀行に買い取らせたため、金融市場は活況を呈した。そして、その資金を外国政府に渡し、外国政府は再び、異常な低金利の米国債に再投資するしかなかった。そのため、米国債の価格は上昇し、利回りは低下した。その結果、米国の金利は低下し、欧州の債券・株式市場への資金流出がさらに加速した。

米国政府には、このドル債務のスパイラルに歯止めをかける動機がほとんどなかった。米国政府は、世界の通貨制度が崩壊しない限り、外国の中央銀行がこれ以上ドルを受け入れることを拒否することはできないと認識していた。このような破綻は、米国よりも外国に打撃を与えるというのが一般的であった。米国の戦略家はこのことを認識しており、米国の支払い赤字は外国の問題であり、米国人が心配するような問題ではないと主張した。

もし支払い赤字がなければ、アメリカ人自身が連邦債務の増加をファイナンスしなければならなかっただろう。それはデフレをもたらし、経済が自給自足の生活を余儀なくされるからである。しかし、国債の増加を外国の中央銀行で賄うという状況では、国際収支の赤字は米国の国益にかなうものであった。それは、経済が他国の資源を活用するための手段となったのである。

アメリカ政府は、国内の財政を赤字にするためにお金を使うだけでよかった。この支出は、直接的には軍事費として、また過熱した国内経済の外国製品や外国資産への需要を通じて間接的に海外に流出した。余ったドルは、元のアメリカへ還流し、世界的なインフレに拍車をかけた。多くのアメリカ人は、所得や資産価値の上昇により、このインフレで一攫千金を狙ったと感じた。

図表1は、第二次世界大戦の終結から1973年3月までの間に、外国政府が米国の公的債務の増加分のほぼ全額を融資したことを示しており、彼らは21世紀に入ってもこれを続けている。このプロセスは1968-72年に最初の危機を迎え、1972-73年の穀物価格と石油価格の4倍に達するインフレの爆発でピークに達した。この5年間に増加した470億ドルの公的債務(社会保障などの信託基金や連邦準備制度に対する債務を差し引いた公的債務)のうち、420億ドルを外国政府が負担した。