「文明の命運」p.3

限界主義と中道政治は不平等の構造的原因を無視

特定の経済的及び政治的環境で発生する小さな変化を見て、限界主義は、財産と債務関係が動いている方向ではなく、短期的な収入、消費支出、および投資に焦点を当てる。富への中毒、略奪的貸付、福利の数学の概念が欠如している限界主義経済理論は、公的な抑制と均衡がなければ経済が二極化することを認めない。裕福なエリートがその力を使って非不労所得セクターを貧困に陥れるからである。

限界主義と同様に、中道政治は、その既得権益に異議を唱えることなく解決できる問題のみを扱う。中道主義は、経済がどれほど分極化しても、システムとしての制度変化なしに生活を続けることが可能だと想定する。中道主義の政策的受動性は、不均衡が拡大するにつれて、経済が二極化する傾向を無視する。不均衡は主に金融的な性格のものであり、FIRE(金融・保険・不動産)セクターの債務の指数関数的増加が主な原因である。中道政治は経済を、あたかも自動安定化装置がそのうち通常の成長に戻るかのように見ている。しかし、富が独占される一方で、人口の大部分がより多くの負債を負うようになるため、限界的なものは経済を二極化から救うことはできない。

この中道主義者は、すべての債務が返済可能であり、返済されるべきであると仮定して、金融セクターが経済に負債を負わせ、債務不履行者が家や事業を失うことで経済を独占することを阻止する改革に反対する。そして、負債のデフレと経済の二極化の結果として、負債のある都市や州が税収の減少と財政赤字に苦しむと、公共支出を削減し、公共の財産とインフラの権利を貸すか売却するように言われる。その結果は、金融セクターの力の増大である。