マイケル・ハドソン「超帝国主義」p.10

しかし、ヴィナーは、1920年代のアメリカ政府自身の孤立主義的な行動を引き合いに出すことはしなかった。また、国際的な商業競争に関するホブソン・レーニンの考え方を逆手にとって、1970年代初頭にIT&Tがチリでアジェンデの社会主義に反対したことや、ロッキード社の日本での賄賂スキャンダルやその他の国内外の高官への贈収賄、さらには1968年と1972年にニクソン氏がアメリカの乳製品や繊維産業に対して行った保護主義者に対する大統領選挙の公約といった現象を受け入れる余地はほとんどなかった。政府計画は、政治指導者の本質的な国家主義的野心に基づく自律的な力として問題であるとされた。第一次世界大戦後、アメリカの産業界が産業保護主義と内部改良のプログラムのもとで世界のリーダーとして活躍したような、政府による計画の余地は認められなかった。「過去において、戦争が経済的な原因から生じたものである場合に限って」と、ヴィナーは主張した。

国家が経済過程に介入することによって、国際的な経済関係のパターンが戦争につながるパターンになることが非常に多かったのである。... 経済的要因は、私企業が、企業を私的かつ競争的に維持することを意図した国家統制以外の広範な国家統制から解放される場合にのみ、戦争を引き起こすのを防ぐことができる。... 戦争は、本質的に経済的な現象ではなく、政治的な現象であると私は信じている。戦争は、主権国家を基礎とする世界の組織から生じるものである。このことは、社会主義国家の世界にも、資本主義国家の世界にも言えることで、国家がその活動範囲において包括的であればあるほど、国家間の深刻な摩擦はより起こりやすくなる。国家が経済的な問題への関与を最小限に抑えれば、戦争の原因となる経済的要因の役割も同様に小さくなる。

平和回復後、各国が米国の輸出国に市場を開放することによって生じることが予想される国際収支の不均衡を補うための十分な資金を確保することによって、各国が自由放任政策をとることを可能とするため、アメリカの当局者がIMFと世界銀行を設立しているように、多くのオブザーバーには思えたのである。戦争で疲弊したヨーロッパに特別な復興融資を行い、さらに特別な状況にある国には、通貨安や関税障壁に頼らなくてもよいように融資する。自由貿易と投資は、米国の主導で作られる戦後の状況下で、国際収支が均衡する状態に落ち着くと考えられていた。二国間対外援助は、自由貿易と国際投資への門戸開放の前提である国際収支の均衡を確保しつつ、アメリカの戦後計画を受け入れるよう各国政府を直接誘導する役割を果たすものであった。