カール・セーガンが警告していた「ファウチと『権威主義的科学』」


Ben Bartee
Global Research
2023年7月31日

ジミー・ドーアが再浮上させたカール・セーガンの警告は、新型コロナやその他の恒久的なテクノクラシーが介在する緊急事態が出現するずっと前の、チャーリー・ローズとのインタビューから引用されている。

危険には2種類ある。ひとつは、いま私が話したことだ。この無知と権力の可燃性の混合物は、遅かれ早かれ、私たちの目の前で爆発することになる。つまり、国民が科学技術について何も知らないのに、誰が民主主義国家の科学技術を動かしているのか、ということだ。

私がこのことを心配する2つ目の理由は、科学とは単なる知識体系ではないということだ。科学とは思考法なのだ。人間の誤りをよく理解した上で、懐疑的に宇宙を探求する方法なのだ。

もし私たちが懐疑的な質問をすることができなければ、何かが真実であると語る人たちを尋問することができなければ、権威ある人たちに対して懐疑的になることができなければ、私たちは次にやってくる政治家や宗教家の戯言に踊らされてしまうことになる。

ジェファーソンはこのことを非常に重視していた。ジェファーソンは、憲法や権利章典にいくつかの権利を明記するだけでは不十分だと言った。国民は教育を受け、懐疑と教育を実践しなければならない。そうでなければ、私たちが政府を動かすのではなく、政府が私たちを動かすのだ。

ロナルド・レーガンの言葉をもじって言うなら、実際の科学の精神は「不信と検証 」である。

科学者も人間である。人間は神ではない。つまり、アンソニー・ファウチのような沼地の生き物がいくら反論しようとも、科学者は神ではないのである。

その点、政府官僚はただの人間であり、一般的に言って、特に立派でも名誉あるものでもない。

「私がすべてを憎んでいるというのは不正確だ。私は常識、誠実さ、良識を強く支持している。このため、私は公職には永遠に不適格である」-H. L. メンケン

この記事はAmerican Thinkerに掲載されたものです。

『Broken English Teacher』の著者、ベン・バーティーは『Notes From Exile』の著者で、バンコクを拠点に活動するアメリカ人ジャーナリスト。グローバル・リサーチのレギュラー寄稿者。

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