マイケル・ハドソン「超帝国主義」p.417

エネルギー協定の資金調達は、ソ連が7億ドルを現金で拠出し、外国為替銀行が15億ドルを6%の金利で貸し出し、さらに15億ドルを15年物の民間債権として7%の金利で保証することになっていた。アメリカは、シベリア油田開発への37億ドルの投資を上回る、1隻1億3,000万ドルの石油タンカー20隻の建造(総額26億ドル)に合意した。このプロジェクトに関連する建設は、242,600人年のアメリカ国内雇用を生み出すと見積もられた。

1973年1月12日、ゼネラル・エレクトリック社がソ連と技術交換協定を締結。4月、オクシデンタル石油は、アンモニア、尿素、カリの納入と引き換えに、ソ連の肥料コンプレックスを建設する80億ドルの取引を発表した。このプロジェクトに関連して、モスクワにさまざまなホテルや貿易センターが建設された。

これは、西側諸国の平和を保証し、共産主義諸国に対してのみ軍事的敵意の脅威を与えるはずだった冷戦の奇妙な転回だった。後者との平和は、デタント(緊張緩和)という新しい政策によって固められつつあった。実際、アメリカが非共産主義同盟国に対する支配力を失い始めれば失うほど、アメリカとソ連は接近し、ヘンリー・キッシンジャーが新コンドミニアムと呼んだもの、つまりアメリカとロシアがそれぞれの衛星国に対して共同帝国主義を敷くことでヨーロッパとアジアを脅かすようになった。

このデタントの大きな原因は、アメリカの冷戦時代の海外支出に起因する国際収支の問題と、長期的な輸出市場を得るためにロシアに穀物を売却したことにあった。ソ連に穀物備蓄を売却したことで、世界市場で穀物不足が生じ、世界の穀物や大豆の価格は3倍、4倍にもなった。アメリカは、同盟国を軍事化し、新たな主要輸出市場としてソ連に目を向けることで、支払い不足を解消しようとした。こうして、米国のロシアとの和解は、ヨーロッパと日本、そしてOPECやその他の第三世界の穀物輸入国の犠牲の上に成立したのである。

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『超帝国主義』は第5章まで、非公開とさせていただきました。
ご理解のほどよろしくお願い申し上げます。