マイケル・ハドソン「超帝国主義」pp.434-435

しかし、2021年現在、ユーロはドルや金に代わる必要な通貨にはなっていない。ユーロは真に政治的な通貨ではないし、政治的に言えば最小必要量に満たない。だが、それ以上に重要なのは、グローバルな国際構造を構築し、それを自国の金融ニーズに合わせて自在に再編成しようという政治的意志がなかったことだ。これは、外交的な手練手管から解放された「自然な」発展ではなかった。1971年に至るまで、ドルが「金と同じ価値がある」ものでなくなると、アメリカ財務省は中央銀行に圧力をかけて金貨を非貨幣化し、ついに世界の通貨システムから追い出した。ドルの金兌換性をなくしたことで、アメリカは保護貿易主義と冷戦下の軍事政策を同時に一方的に追求することが可能になった。

新たなドル下落は、ジョージ・W・ブッシュ大統領が国際法上違法な鉄鋼関税を発表した直後の2002年晩春に始まった。これらの行為は、1971年から72年にかけての米欧間のガラスとニワトリの戦争や、アメリカ国外の小麦価格を4倍に高騰させた穀物禁輸を想起させた。第15章で述べたように、禁輸措置に触発された石油輸出国機構(OPEC)は、石油と食料の貿易条件の平価を維持するため、石油価格の引き上げを実施した。「オイルショック」は、ナショナリスティックなアメリカの「穀物ショック」の余波であった。

ノルウェーのソブリン・ウェルス・ファンド(国富基金)は、北海油田で稼いだ石油をアメリカ市場に再循環させたために深刻な損失を被り、2001年10月までに、政府は地元自治体に年金基金への追加拠出を通告せざるを得なくなった。アメリカ市場の急落を補うため、ノルウェーの美術館やオーケストラ、その他の文化団体に対する公的支援は削減された。このような損失はマイナス金利に相当する。

どんな問題にも常に2つの側面がある。アメリカ政府高官は、自国の余剰ドルが他国の信用創造力を拡大し、「成長機関車」として機能すると主張する。アメリカの外交官たちは、赤字国債の高波から抜け出そうとする外国の試みを簡単に頓挫させることができた。

おそらく、1~2世紀後に現代を振り返る歴史家は、ヨーロッパもアジアもその他の地域も、経済的利益をアメリカ経済に委ねるのではなく、それを生み出す国の経済に残すような、真に新しい国際経済秩序を考案できなかったことに気づくだろう。今日の時代は、間違いなく、アメリカとそれ以外の国々との間の著しい非対称性の時代とみなされるだろう。アメリカはタダ乗りをし、ヨーロッパは国際金融という偉大なゲームに、アメリカ人ほど鋭敏に立ち向かおうとはしなかった。

1932-33年と1972-73年にアメリカの交渉官を導いた原則を、政治家、外交官、そして一般大衆がよりよく理解できるような機能的なカテゴリーを開発することができなかった。このような理解なくして、ポスト米ドルの世界は生まれない。