マイケル・ハドソン「超帝国主義」p.155

その結果、イギリスは戦後の世界市場を獲得するためのスタートを切ることができた。「1937年当時、製造品輸出の世界市場におけるイギリスのシェアは19%で、戦後のアメリカをはるかに上回っていた」とジョイスとガブリエル・コルコは計算する。「ブロック加盟国のドル収益でさえ他通貨に交換できず、インド、アルゼンチン、その他の大口債権者はイギリスの貿易システムに完全に組み込まれていた。したがって、戦時中のイギリスの債務残高は、アメリカの戦後計画や、イギリスがまだ批准していないブレトンウッズ協定にとって、非常に大きな脅威となった。」

アメリカの最も重要な目的は、イギリスの国内市場と帝国市場を開放し、アメリカの浸透を図ることであった。「ジェームズ・バーンズ国務長官は、「もしわれわれがこの融資に失敗すれば、イギリスはあるブロックの国々と物々交換で商売をせざるを得なくなるだろう。つまり、世界を経済ブロックに分割することになり、世界の平和が脅かされることになる」と、バーンズ国務長官はと断言した。この融資がなければ、イギリスはブレトンウッズ機関にも国際貿易機関にも加盟できないはずであった。スターリングの切り下げが必要となり、イギリスの輸出品の市場価格が下がり、その過程で多くのアメリカの輸出品がその座を追われることになっただろう。切り下げられたスターリングは、世界の主要貿易通貨としての地位を維持できたかもしれない。

スターリングがブロックされたままであっても、ドル至上主義にとっては脅威であった。なぜなら、スターリングの残高を割安で売ることができ、切り下げと同等の効果が得られたからである。そのためアメリカは、イギリスが借款の日から1年間、すべてのポンドをどの通貨にも自由に交換できるようにすることを主張した。二重基準が敷かれたのだ。アメリカ政府は、輸出入銀行の融資をアメリカ国内での購入に結びつけると同時に、「イギリスがアルゼンチンに商品の購入によってポンドを所有させ、そのポンドをイギリス国内で使用することを規定する」ことに強く反対したのである。